新潟県南魚沼市 魚沼コシヒカリ
三国連山-魚沼丘陵に囲まれた地域で栽培され、抜群の美味しさで日本一の座まで登りつめました。高い山々から流れ出す雪解け水、著しい昼夜の寒暖差、実入り時期の霧発生といった魚沼地域でしかあり得ない条件によって育まれた越後の最高級品です。 |
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「うまいコメが食べたい」~コシヒカリ ブランド米の伝説
昭和57年以来、販売シェアの全国一をキープし続けるコシヒカリ。日本一うまいと言われる米である。
その作付け面積は、今や日本の全水田の3分の1を占める。
戦後まもなく、福井の農業試験場で開発されたコシヒカリは、「越南17号」と名付けられた試験品種だった。
味はうまいものの、肥料の管理などが面倒で、「増産」が至上命題だった当時は、全く相手にされない米だった。
その「越南17号」に目を留めたのが、新潟県長岡農業試験場の職員、杉谷文之40歳。杉谷は土地のやせた新潟の農業を救う「うまい米」を探していた。しかし、期待の越南17号は、刈り入れの直前、生育のしすぎでバタバタと倒れていった。杉谷たちは、過剰な生育を押さえるために、肥料の与え方で対処しようと試行錯誤を重ねる。この米に、一人の若い農家が着目する。やせた土地に苦しんでいた魚沼地区の小林正利だった。
小林は、村を救うのはこの米しかないとプロジェクトに加わる。このうえなく痩せていた魚沼の土地は、偶然にも「越南17号」には最適の土地で、以後、魚沼は、この米の開発に地域の存亡を賭けるまでになった。
貧村を救おうと研究に打ち込んだ研究者と、地元農民の力によって、日本一の米、コシヒカリが誕生しました。
コシヒカリの名前の由来 ”越の国の光り輝く米” |
魚沼コシヒカリ発祥之地 碑 南魚沼市宇津野新田 |